日本語(yǔ)は語(yǔ)彙や表現(xiàn)に乏しい言語(yǔ)だ。形容詞が少なく、外來(lái)語(yǔ)が多い。外來(lái)語(yǔ)を使わなければ話ができないし、少ない形容詞ではさまざまな情感が表現(xiàn)できない。しかし一方で、あるものの呼稱は非常に豊富である。
日本を旅行したことがある中國(guó)人だったら、日本の街角で公衆(zhòng)便所を見(jiàn)つけるのは困難であることを知っているだろう。この點(diǎn)においては中國(guó)の街角とはまったく違う。では、日本で突然用を足したくなったらどうすればいいのか? 普通だったら、駅や周辺のデパートに行けば解決する。近くの喫茶店やパチンコ屋でもいい。
「公衆(zhòng)便所」「化粧室」「洗面所」、さらには英語(yǔ)に由來(lái)する「W·C」や「トイレ」??????、日本のトイレの呼稱はこれに止まらない。
日本ではトイレを「御手洗」とも呼ぶ。字面から推量するに、日本人は早くからトイレを単なる排泄の場(chǎng)とは見(jiàn)なしていなかったのだろう。「御手洗」はトイレの呼稱であるだけでなく、姓でもある。前経団連會(huì)長(zhǎng)の名前は「御手洗富士夫」。この姓とトイレにどのような関係があるのか、考証したことがある人はいないだろう。これと同じような呼稱に「手洗屋」がある。日本人の衛(wèi)生観念が中國(guó)人より高いことは、紛れもない事実である。
日本の寺院では「東司」と呼ばれる。「東司」という呼び方は古代漢語(yǔ)から來(lái)ており、古代漢語(yǔ)の口語(yǔ)の中で使われていたという。今でも、広東省の潮州や江西省の萍郷などの方言ではトイレを「東司」と言うそうだ。