『參考消息』10月21日掲載記事「誰が日本で反中國デモを煽動しているのか-日本の新右翼組織『がんばれ!日本』を徹底的に暴く」は、以下のように述べている。
10月初から『がんばれ日本!全國行動委員會』(以下『がんばれ日本!』と略稱)は既に連続して3回大規(guī)模反中デモを行なっており參加人數(shù)も多い。この設(shè)立して間もない組織がなぜこのような大きなエネルギーがあるのか。その背景で誰が動かし、取り仕切っているのか。
中心的人物はかって自衛(wèi)隊から「退職勧奨」を受けた
『がんばれ!日本』の會長は元航空自衛(wèi)隊幕僚長田母神俊雄である。2008年公的な立場で彼はある民間の懸賞論文コンクールに『日本は侵略國なのか』と題した論文を投稿し、その中で「日中戦爭は侵略戦爭ではない」、「日米戦爭はルーズベルトによる策略であった」、「皇姑屯事件(日本では張作霖列車爆破事件と呼ばれる)はコミンテルンの陰謀」、「日本は蔣介石により日中戦爭に引きづりこまれた被害者」等の主張をし、その最終的結(jié)論は日本は侵略國家ではなかった、今日の日本は集団的自衛(wèi)権を行使すべきというものであった。田母神論文は最終的に最優(yōu)秀賞を獲得した。メディアはその評価委員の中に彼の親しい友人がいた事に注目しており、実際のところこの二人が「出來レース」を演じた可能性がある。
この論文は完全に歴史を歪曲しているばかりでなく、日本政府の公式な表明見解と大きくかけ離れている。そのためこの論文が明るみに出てまもなく、田母神は幕僚長の職を解かれて特任職となり、その年の11月に退職した(彼の階級では本來は二年後の退職であった)。退職時に自衛(wèi)隊は退職儀禮式を行なわず、防衛(wèi)大臣はその退職金(6000萬円)を返卻する事を勧告したが、田母神はこれを拒否した。
不名譽な退職後、田母神俊雄は自分の観點をあいまいにする必要はもうなかった。そこで退職後直ちに「右旋回」して大量の著作を書いたのみならず日本各地で講演を行なった。2008年以來彼は既に単獨で10冊、他の人との共著?共編で9冊の本を書き、更には一ヶ月24回の講演をする記録を作っている。この時田母神は歴史問題で更に深く言及したのみならず(例えば日本の起こした太平洋戦爭を公開の場で「聖戦」と言った)、現(xiàn)実の問題もあからさまに話をした。彼は、日本が核兵器を開発する事、集団的自衛(wèi)権を行使する事、憲法第九條を改定する事、憲法の中に明確に「日本は陸海空軍を擁する」事を明記する事などを主張した。これらの事で元々一般にはあまり注目されていなかった田母神俊雄は、今や當代の右翼の代表的人物となった。