中國の五?四青年デーと北京大學創立記念日の前日だった2011年5月3日、加藤嘉一は香港鳳凰網の単獨取材を受け、若者や理想、中國的論理や中日関係について語った。
▽最後の選択肢だった中國留學
2003年、彼はスポーツ特待生として東京大學に合格した。
中學3年の頃には、すでに海外へという気持ちがあった。「さもないと、日本の保守的な官僚主義體系の中で這い上がっていくのは難しい」と考えていた。彼の夢は國連で國際公務員になることで、そのためには國連の公用語のうち2ヶ國語をマスターしなければならない。英語は、高二ですでに翻訳をしていたので問題なかった。アラビア語、ロシア語は真っ先に候補を外れ、フランス語は上品過ぎるし、スペイン語は情 熱的過ぎ、自身を內向的な田舎者と認識する彼にとって、最後に殘ったのが中國語だった。
また、當時彼の父親が自己破産申請をしていたため、歐米に留學する経済的余裕もなかった。こうして、折しも2003年の新型インフルエンザが猛威を振るう中、彼は北京大學の國際関係學院に入學した。「中國は私にとって最後の選択肢だった。中國留學は運命の偶然とも言うべきで、當時は中國に落ち著くことしか考えていなかった。」
▽意外にも國際的だった北京大學