館內には大きな掲示板が掛けられ、人探しや無事を知らせる伝言が次々に貼られていった。家族?親戚などと連絡を取り合うため、無料の電話も設置された。
「日が経つにつれ避難している人々のプライバシーが重視されるようになってきました」
渡辺館長はまず段ボールで仕切られた空間に案內してくれた。高さ1メートルほどの段ボールの壁、少なくともその內側は自分の空間として使用できる。ふと目を向ければ、ペットボトルに百合が活けられていた。こんなときでも、いやこんなときだからこそ、なのかもしれない。花を飾る心を忘れない人がいる。
「しばらくすると、ボール紙素材でフレームを作り始める人が出てきました。高さを出すことで、よりプライバシーが保たれます」
渡辺館長は続いて人の背丈ほどの紙製フレームと水色の布で仕切られた空間に私を案內して言った。
「視線を遮ることはできますが音は無理ですね」
地震から1,2カ月が過ぎると、しばらく帰宅が許されない原発付近の住民のため、今後長期にわたって住み続けられる場所と仕事を探す必要がでてきた。一方で避難所を出て行く人も出始め館內スペースに余裕ができた。そのスペースには仕事を紹介する窓口や被災地の役所機能などが置かれた。大勢のボランティアが館內で活動し始めたときはボランティア情報センターも設置された。
私を案內しながら渡辺館長は避難所にいる人々に次々と聲をかける。産業交流館の館長はつまり福島県に勤める地方公務員だ。地震が起きる以前は様々なイベントや展覧會を企畫?実施していたわけだが、一夜にして避難所の責任者となりその仕事を著実にこなしてきた。二千を超える人の避難生活を支え続けて半年、渡辺さんは再び産業交流館の館長となり通常営業に向けて準備を始めている。
?Billion Beats 日本人が見つけた13億分の1の中國人ストーリー?より
?中國網日本語版(チャイナネット)? 2011年9月23日