文=奧井禮喜
全國紙の発行部數をみると読売996萬部、朝日796萬部、毎日341萬部、日経301萬部、産経160萬部で合計2,594萬部である。地方紙も含めれば大方の家庭に新聞が配達されている。
わが國の新聞は家庭配達という購読者にとって至便な方法が確立?定著している。配達システムが、膨大な新聞購読者を獲得する大きな要因であることは間違いないだろう。
まことに殘念なのは、全國紙といわれるものはあるが、quality paper、高級紙がない。いわく、部數が多くなくても理性的で、読者の強い信頼を獲得するに足る、社會的影響力が強い新聞のことである。
もちろん國民各位は高級な気位をお持ちであろう。新聞社もまた高級紙制作の誇りを擔って日夜健闘しておられるだろうけれど、提供される「質」について不満なのだから仕方がない。実際、読者の不満は少なくない。
新聞は日日の出來事を記事にする。新聞社として営業上記事の価値は、人々の耳目を集めなければならないから、よい內容でも悪い內容でも誇張される傾向にある。事件?事故の場合が典型である。
しかし、たかだか竊盜かっぱらいの記事であっても、全國紙に掲載されるには、社會現象として、それなりの意味が必要である。當事者には切実でも、世間にあまねく喧伝せねばならないかどうかという視點が必要だ。
身辺雑記はおよそ人の數ほど存在するのであるから、手當たり次第に記事にする意味がないことは當たり前の理屈である。