【新華社杭州7月5日】日本の右翼が南京大虐殺の史実を否定しようとして、中國で當(dāng)時(shí)、追悼行事がなかったとしていることに対し、浙江大學(xué)新聞學(xué)科助教授の何揚(yáng)鳴博士は當(dāng)時(shí)の新聞「東南日報(bào)」が南京陥落1周年に浙江で大規(guī)模な追悼行事が行われたと報(bào)じていることを発見したと明らかにした。
「東南日報(bào)」は1934年6月16日に杭州で創(chuàng)刊された浙江省で最大手の新聞で、全國紙でもあった。抗日戦爭中は拠點(diǎn)を浙江省の金華、麗水、雲(yún)和、江山や福建省南平などに転々と移した。當(dāng)時(shí)の「東南日報(bào)」の紙面は現(xiàn)在、浙江省図書館と同省公文書館に保管されている。
南京は1937年12月13日、杭州は同月24日に陥落した。浙江省政府は翌年12月14日から24日にかけ省內(nèi)各地で陥落1周年?duì)咨咦返郡胜嗓涡惺陇蛐肖盲?。これについて「東南日報(bào)」は詳しく伝えている。
それによると、1938年12月14日に行われた浙江省の南京?杭州陥落1周年會議で中國第2戦區(qū)副司令官で浙江省主席の黃紹竑氏が発言し、陥落の後、日本軍による虐殺のあったことを報(bào)告した。外國人記者が目撃した犠牲者數(shù)の推計(jì)では27萬人以上に上っている?!笘|南日報(bào)」は同月24日、「首都陥落1周年」の社説で「人類空前の慘劇」があったと伝えている。
何揚(yáng)鳴氏は次のように語った。日本の右翼は「當(dāng)時(shí)の新聞が報(bào)じていない」として、南京大虐殺を否定しようとしているが、「東南日報(bào)」が報(bào)じていることが明らかになり、その報(bào)道を集め、研究書を出版した。日本政府と日本軍は南京陥落後、厳重な報(bào)道管制を敷き、日本の従軍記者にうその報(bào)道をさせる一方、西側(cè)記者の行動を厳しく規(guī)制した。南京、上海、杭州などの中國メディアも日本軍によってつぶされていた。そのため南京陥落から數(shù)日間、メディアには大虐殺の情報(bào)がなかった。
しかし同月15日に米紙「シカゴ?デイリー?ニュース」、同18日に「ニューヨーク?タイムズ」が大虐殺の事実を報(bào)じ、同22日に「東南日報(bào)」が第1面で報(bào)じ、強(qiáng)く非難した。その後、大虐殺に関する報(bào)道が強(qiáng)化された。何揚(yáng)鳴氏によると、「東南日報(bào)」は當(dāng)初、外國メディアの情報(bào)を転載していたが、その後は避難民や兵士に獨(dú)自に取材し報(bào)道した。
(新華網(wǎng)日本語)2014年7月6日