日本人は25年待ち望んだインフレを嫌がるようになった。米誌「フォーブス」(電子版)が15日、伝えた。
経済面で、目標達成後に何をすべきか分からなくなった例を挙げるならば、それは2024年前後の日本だ。
過去25年において、日本の歴代首脳はデフレ対策と物価上昇の維持を目指してきたが、ほぼ失敗に終わった。岸田文雄首相も例外ではない。岸田氏は14日、次の與黨?自民黨総裁選の不出馬を発表した。
確かに岸田氏の任期中(2021年10月から)に物価上昇が生じた。しかし日本に2%という物価上昇率の目標を上回らせたのは岸田氏ではなく、プーチン氏だ。
ロシアとウクライナの衝突によりエネルギー及び食品価格が上がった。またコロナ後のサプライチェーンの混亂もコストを引き上げた。これにより日本は信じられないほどの高値で大口商品を輸入することになった。円の価値は過去10年で3分の1落ちた。
これは経済學者が言う「悪い」インフレだ。90年代末より、日本は「需要けん引型」のインフレを目指してきた。これは持続的に拡大する需要が賃金増をけん引するインフレのことだ。しかし日本が迎えたのは「原価上昇型」のインフレで、家庭の購買力を落とし、ビジネスの信頼感を損ねた。
これらは、1億2500萬人の日本人のうち多くがこのインフレを嫌う理由を説明する。その一方で政府の指導者は國民に、これが待ち望んでいたインフレだと告げる。
岸田氏が次期総裁選の不出馬を決めたのは、期待に反したインフレを説明する最も注目度の高い例と言える。日本政府の専門家は、岸田氏は自民黨內の裏金問題に対する世間の怒りに苦しめられていると語る。しかし実際には、不調な経済によって苦しめられているのだ。
多くの米國人が世界最大のエコノミーの経済繁栄を感じていないことから分かるように、インフレはすべてを複雑化させる。日本では、物価上昇率が賃金上昇率を上回っている。
岸田氏は自民黨が無駄にした12年のツケを払わされている。この12年で、自民黨は大鉈の改革を約束した。殘念ながら、労働市場の改革、官僚主義の減少、イノベーションの刺激、男女平等化の約束は、過激な量的緩和策を前にし二の次三の次になってしまった。
これが過去25年の狀況だ。90年代末以降、13人の首相が物価安定に著手した。首相が日銀にさらなる緩和策を促すため費やした時間は、公平な競爭環境を創出し、イノベーションを奨勵し、生産性を高めるため日銀に促した時間を上回った。
日銀は1999年に初めて金利をゼロに引き下げた大國の中央銀行となった。日銀は2年後に真っ先に量的緩和政策を打ち出した。これらの無料の資金は立法者の経済調整の逼迫感を落とした。企業のCEOは再編やリスク負擔の動機をほぼ失った。
褒めるべきことは褒めるべきだ。自民黨は過去10年間で、企業のガバナンス強化の面で成功を手にした。企業の株価収益率を引き上げる措置により、日経平均株価が1989年の最高値を上回った。
ところがこの期間中、一般的な日本人の賃金が上がらなかった。この問題により岸田內閣の支持率が20?25%で低迷し、最終的に首相の座を失うことになった。
岸田氏が所屬する自民黨からは來月、その後継者が選ばれる。経済改革を再開する手段を見出す責任は次期指導者の肩にかかっている。日本を悩ます政治的な麻痺を考えると、これは言うは易く行うは難しだ。
誰が岸田氏の後を継ぐとしても、日本の多くの家庭がインフレを目に見えない増稅と見ていることが問題だ。真面目な経済學者ならば、デフレを良いこととはしない。債券及び株の投資家にとってこれは悪夢だ。
しかし日本では、多くの消費者がデフレを受け入れ始めたという、重視されていない動きがある。生活費を下げることで、デフレは賃金増の不足を相殺した。賃金が上がらず稅金が高い日本で、伸び悩む消費価格は減稅に相當する。
?中國網日本語版(チャイナネット)?2024年8月20日