林國本
私たちの世代の若い頃は、まだ新中國建國の初期で、まだオリンピックから人為的に排除されていたので、オリンピックでの金メダル獲得は夢物語に等しかった。その後、オリンピックにも復帰し、射撃種目で最初の金メダルに輝き、國民にとって大きな勵ましとなったことを今でも覚えている。その後のスポーツ界の人たちの努力で、中國の進歩はめざましいものがある。
アヘン戦爭以後、中國人は一時期「アジアの病人」と見られてきたが、いまや列強に押しつけられたこの「汚名」を返上し、スポーツ大國からスポーツ強國への道を歩む時期にさしかかっている。
私は日本と関連のある職場で數十年働いてきたので、ごく自然にかなりの事柄について、日本と比較して考える「複眼構造」が出來上がっている。日本のメディアの報道を見ていると、日本のチームが金メダルを取って帰國した時の出迎えぶり、ファンたちの燃え上がりとかいったものは発展途上國である中國とはいくらか違うような気もする。しかし、日本にも「フジヤマのトビウオ」という熱狂の時代があったことも忘れてはならない。要するに社會そのものの発展段階の違いなのである。
さて、北京オリンピックで中國は金メダル総數で一位となった。テレビで毎日、メダル數が表で明示され、二位、三位との差が大きいことを目にして、ファンの1人として、これで百數十年らいのトラウマも癒されたのではないかとも考えた。しかし、もとジャーナリストという「習性」から、一位になったことは「追われる側」になったことも意味すると理解している。したがって、 中國スポーツ界は新しい意味での「試練」にさらされていると言えるような気もする。