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溫州再訪の旅 |
発信時(shí)間: 2009-10-14 | チャイナネット |
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林國(guó)本
私は自分が浙江省の寧波をルーツとする人間であるせいか、浙江省について人一倍こだわりがある。寧波というところからは數(shù)多くの浙江商人が現(xiàn)れたが、この30年間溫州商人という人たちがさっそうと現(xiàn)れ、全國(guó)各地で話題となっている。その話題の中には、かつては、コピー商品の製造を得意とするというマイナス?イメージのものもあったが、伝え聞くところでは溫州市のトップが「これではわが溫州のイメージ?ダウンにつながり、溫州の人間はあちこちで肩身の狹い思いをすることになりかねない」と一念発起して、コピー商品を焼き捨てさせ、一時(shí)メディアでも報(bào)道されたことがある。 私も「おらが故郷」浙江省の人たちに申し訳ないが、家族のものに「電気製品は溫州製のものは買うな、感電死でもされたら大変だから」と言ったことを今でも覚えている。最近は、溫州製品もかなり良質(zhì)なものが次々と市場(chǎng)に出回っているので、私も前言を取り消すべきであろう。 今年の建國(guó)60周年の連休にまた溫州と廈門(アモイ)くんだりまで足を伸ばしてきたが、この地域の発展ぶりは私の想像を上回るものであったので、建國(guó)60年における國(guó)民が一丸となっての努力、海峽両岸の平和、発展の新しい狀況がこの地域にもたらした、そしてこれからももたらすであろう発展の機(jī)運(yùn)を肌で感じ取ることができた。 溫州の一部企業(yè)は國(guó)際金融危機(jī)のあおりを食って一時(shí)不振狀態(tài)に置かれたようだが、政府が矢継ぎ早に対応策を打ち出したおかげで息を吹き返しているようである。地元の繁華街のグルメセンターは超満?jiǎn)Tで、私は職業(yè)柄、頭の中に日銀短観やFRBのバーナンキ理事長(zhǎng)の発言がこびりついているので、こんなに超ノーテンキで暮らしていていいのか、とも思いさえした。世界の経済危機(jī)はまだ底をついたとは言い難いし、足元中國(guó)でも、8%の成長(zhǎng)率を確保できるかどうか、とがんばっているというのに、まるで「國(guó)際金融危機(jī)などどこ吹く風(fēng)」という雰囲気なので、もうすこし財(cái)布のヒモを締めてはどうかとも思ったりするのは、「石橋をたたいて渡る」私の性格のなすところかもしれない。 溫州商人のハングリー精神、土性っ骨、私はそれをよりよく知るためにかなりの書物を集め、數(shù)多くの溫州出身者から話を聞いた。今回溫州へはクルマでいったが、高速でいくつものトンネルを潛り抜けた。溫州の人たちが言うように、山また山で外へ出て行くしかないのだ、という話も分かるような気もした。しかし、今のように日用雑貨をつくることだけでは溫州はテークオフできない、という厳しい見方をする人もいた。溫州籍の華人、華僑の國(guó)外からの多額の送金があるせいか、町並みの近代化もかなり進(jìn)んでいることも確かだが、寧波のように上海を初めとする長(zhǎng)江デルタ経済圏とのドッキングもなく、後背地域も経済の発達(dá)が遅れているので、溫州にとってはこれからが大変だとも感じられた。溫州市のシンクタンクのエキスパートたちがこのマイナスに見える環(huán)境を逆手に取る名案を考え出すことを願(yuàn)っている。 帰途は上海に立ち寄って、浦東地區(qū)に建てられた92階建てのビルの91階のコーヒーラウンジで、眼下にある「東方明珠」テレビタワーなどを眺め、カプチーノを味わいながら、來(lái)年開催の上海萬(wàn)博に思いを馳せつつ、近代化とはなにかということを考え続けた。
「チャイナネット」 2009年10月14日
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