老吾老、以及人之老。「孟子」にある有名な言葉である。まず自分の親を敬愛し、それから敬愛の情を他の老人に及ぼすという意味である。むかし、孔子の「論語」を必修科目として覚えていた日本人が、同じく儒教の経典である「孟子」にあるこの言葉を忘れている気がする。
日本人はあまり親の元に戻らない、あまり実家にいる親に電話を掛けない、と書いた大學生のK君もいる(『中國人と日本人のホームシック観』)が、K君はその原因を文化と習慣の違いに帰した。果たして日本の文化は親子の連帯感を薄くする文化なのか。筆者にはそれを考証するだけの実力がないので、実証研究を避けて、思うままに自分の感想を述べていくが、不適切な點があれば、読者の皆様のご指摘を願いたい。
日本には古くは姥捨ての伝説が伝わっていたように、お年寄りが働けなくなると、「ゴミ」として捨てられた場合もあった。學者の考証によると、それは古代の長野県で実際に行ったことのようである。それが本當かどうかは別として、「姥捨て」というのはあくまでも「野蠻」な時代の話で、文明社會には通用しないだろう。姥捨てという伝説を素材とした映畫「楢山節考」では、母親を捨てに行かなければならない時の長男の苦しい姿を描いていた。監督は文明人の考え方によってあらためて「姥捨て」という古い伝説を解釈したのである。
しかし、皮肉なことに、文明社會となった日本は今、「姥捨て」という伝説が現実になった。定年退職して、年金で生活しているお年寄りは「粗大ゴミ」と呼ばれる。働けないので、ゴミ同然という考え方は「姥捨て」という伝説を思い起こされる。これはまだ良いとして、一人暮らしをしていた老人が死んで、そのまま知られずに、死體が腐ってはじめて周りの人に知られたというような新聞記事は珍しくない。その老人に子供がいなくてかわいそうだなとはじめての時は思ったが、実はそうではなかった。子供はいた。一緒に住んでいないだけであった。
大學の時に、日本人の先生がいた。すごく優しくて親切な先生だった。日本に留學していた半年間、遠いにもかかわらず、何度も先生を訪れた。そのたびに、先生はすごく喜んだ。同級生のLさんの手をつないで、自分の孫娘だと近所の人にふざけて言ったりした。いつも不思議に思うのは、先生はなぜ自分の息子や娘と一緒に暮らさないのかということだった。先生には息子一人と娘一人がいた。子供がまだ小さい時に、奧さんが亡くなり、先生一人で二人の子供を育てたという。今はそれぞれ結婚し、それぞれ子供が生まれた。先生は時々孫の寫真を取り出して、幸せそうに僕たちに見せる。しかし、その息子と娘はなぜ顔を見に來ないのか。今年の12月に、先生は80歳の誕生日を迎えるが、まだ一人暮らしを続けていくのかと思うと、先生のことが心配になりはじめた。
話はまた変わるが、去年のことだった。日本人の友達のAさんの両親が北京に來て、一緒に頤和園を観光することになった。そこは、親子連れの観光客が多かったので、Aさんのお父さんが感慨深く次のように言った。「いいですね。日本ではめったに見ないんですよ。子供が親と一緒に旅行するのはとにかく嫌がるので。」
このお父さんの感慨と先生が孫の寫真を幸せそうに人に見せることからも伺えるように、日本人も決して親子関係を重視していないわけではない。中國には「二十四孝」という教訓書があって、中には自分の子を殺してまで親孝行するという極端な話まで乗っている(もちろん、親孝行とはいえ、このような愚かな行為は避けるべきだが)。それが日本に伝わり、流行ったという。この本が日本ではやったということ自體は、孝行と日本文化には矛盾がないということを証明しているのではないだろうか。
時代は変わるが、「孝」という字は「親にしたがう子」というふうに書くように、親子の繋がりはいつになっても変わらない。しかし、農耕時代が過ぎ、工業の時代になった現在、子供がずっと親元を離れずにいるのも無理だが、いつも親のことを気にかけ、K君の言葉を借りていうなら、「時々親元に帰って、親と一緒に楽しい時を過ごす」ことは無理ではないだろう。浮世草子に「今様二十四孝」という作品があるが、この新しい時代に、日本人―隣の友よ、今の「今様」孝行物語を作ろうではないか。
(大學教師の岳遠坤氏の投稿より)
「チャイナネット」2007年12月11日