次に、中國側の要因として私が感じますことは、恐らく中國は、日本が中國に対して抱いているほどの強烈な関心を、日本に抱いていないのではありませんか。何故なら①中國は伝統的に外交よりも內政への関心が強、 ②現在の中國は広大な領土と巨大な人口を抱え、史上例にない社會経済の発展期である、③中國はその名の通り「中の國」であり、周囲に民族?政情?発展レベルの異なる大小多數の國を抱えている、④グローバル化が進展する中、國力とそれに伴う地位の上昇により、中國が世界で果たすべき役割が複雑多様化している等々、要するに中國は大変忙しいので、いちいち日本一國相手にそれほどのエネルギーを注いでいる暇がないし、その必要もないと判斷しているということです。これが日本にとって、特にプライドの高い(それだけに劣等感の強い)民族主義者にとって、非常に屈辱的なのだと思います。
では、何故中國が日本に対して強い関心を抱く必要がないのでしょうか。それは、実は中國は日本を既に十分知り盡くしているからです。
中國の偉大さの一つは、その悠久の歴史から得た膨大な経験を通じて、この人間世界を底の底で動かしている力、即ち「人間の本性」を理解しているということです。中國ではこれを「道理」と呼んでいます。ですから、中國にとってこの世界においてどんな民族がどんなことをしようと、それは未知のものでも恐れることでもなく、一定の時間をかければ、必ず理解でき解決できるものなのです。
ましてや日本は、中國にとって近く、その誕生以前からよく知っている國で、しかも過去50年に渡り日本が中國を侵略したことによって、中國は極めて直接的に日本を「知る」ことができました。あの侵略によって日本が中國の前に赤裸々に曬したものとは、その最も醜くい、最も忌むべき、最も弱い本性であり、中國はそれを余すことなく民族の體に記憶に遺伝子に刻み込み、それによって最終的に勝利したのです。多くの日本人は知らず、知ろうともせず、また知ったとしても認めたがらない事実は、あの戦爭において日本を真に実力で駆逐し、道徳的にも完全に勝利した國は、アメリカではなく中國だという事です。
中國の日本に対する認識は、侮ってはいないものの、恐れてもいないということです。知り盡した相手に対しては、油斷を諌めればよく、恐れる必要はないからです。そして中國が日本に関し強く感じている必要性とは、予測できる最悪の結果をいかに防ぎ、いかに両國の平和と國民の安寧を長く維持するかということです。それは親が、道理を理解せず過ちを再び繰り返そうとする息子をいかに教育し更生させ、元の平和で秩序ある家庭を取り戻そうかと腐心するのと似ています。もっとも、これも日本にとってはやはり屈辱的でしょう。恐れられないとは、対等の相手とも見られていないわけですから。
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