「あちこちで『萬葉集』の和歌を見かけ、石の上にさえ詩が刻まれているなんていう町が日本にはある。中國の街頭の壁に貼ってある『証明書作ります』のような、雰囲気ぶち壊しの迷惑チラシなどではない。」華中師範大學外語學院の李俄憲氏副院長(日本語學科主任)は、10月16日に參加した「名家フォーラム」で、11年間に及ぶ日本留學體験について語ってくれた。また、私たちに「日本文學の中に見る中國のイメージ」についても話してくれた。
中日作家の交流減る
中日関係と中日文化?文學関係とはつねづね影響を受けやすくホットな話題である。李教授は最近の釣魚島問題に觸れ、「中日関係は良い方向に向かっており、最悪の狀況にはならないだろう。でも、だからと言って、そこまで良い方向にも進まない」と正直に述べた。中國と日本の文學とは1500年前からの付き合いであり、お互いなくしては成り立たないほどの深い関係にある。
「今日、中日の作家間の交流はあまりにも少ない。」2010年中日作家會議に參加した李教授は、その事を身に染みて感じたという。皆顔を見合わせて「どちらさまですか?」といった感じである。日本の作家は皆25~30歳くらいと若いが、彼らの作品には、深みと味わいがある。川端康成や大江健三郎など、大學在學中に名を上げた作家は多い。中國の文學界だとそうはいかない。大學在學中に売れるような青年作家は貓の額ほどである。
日本文學、特にマンガ文化は世界中で愛され、村上春樹や川端康成の専門研究家はヨーロッパには數え切れないほどいる。中國はと言うと、世界に知られているのは唐詩や宋詩、明清時代の小説であり、現代文學で名が知れているのはほんの一握りだ。世界の文學界から見れば、中國文學よりも日本文學のほうが獨特の風情があるのだ。
「論語」のエッセンス
文化面での日本人の消費は世界でも1,2を競うほどである。日本人の読書量は中國人の10倍以上で、一人當たりの年間読書量は平均40冊である。農村部では新聞を4部も取っている家庭もあるという。また、日本は中國研究において、今でも世界一の地位を保っており、1萬人以上の研究家と500萬以上の中國語愛好家がいる。そして、テレビニュースは休むことなく中國の情報を伝えている。日本人はまるで、中國を顕微鏡で拡大し、くまなく観察しているようである。
実を言うと、第二次世界大戦時の日本には、中國の資料や情報を集め、中國人よりも中國通の人たちが居たそうだ。そのような人たちは、軍事地図を見れば、大小こまごまの村から豚小屋の位置に至るまで、あらゆることを正確に把握していた。例えば、中國の兗州の歴史について調べたいと思った時、中國に資料は殘っていなくとも、日本には実に完璧な資料が一揃い保管されている。
「論語」の真髄や中國の文化から技術に至るまで、日本人の道徳観念の中にはそういったものが刷り込まれている。明治維新が始まり、日本はGDPのうち8%を投資して、正式な義務教育の実施に取り組んだ。學校は完全無料化され、給食では牛乳と肉が出されていた。その為、貧しい人も教育を受けることができ、中國に侵略した日本軍は皆、中高生か大學生だったのだ。1500年もの交流の歴史の中にはずっと、「強いのは中國、弱いのは日本」という力関係があった。しかし、現在その力関係はバランスを崩しているようである。日本の文學はスポンジのような吸収力であらゆるものを自分のものにしてきた。良い手本だと見極めて吸収したり、目的にあったものを選んで吸収したり、ビジネスの分野で輸入することもあれば、自分たちの誤りを見つける道具として利用することもある。そして、両國の文學は反発や共鳴といった様々な段階を経て、中國文化は日本文化の骨となり血なり肉となったのである。以前、日本は金や石炭といった資源を以って中國文學の経典を手に入れ、7000冊の本の為に天皇が自腹を切ったこともあった。今となってはその逆である。中國は人民元で日本のマンガなどを買い込んでいるのだ。
「中國網日本語版(チャイナネット)」 2010年10月20日