ギェンツェン?ノルブ?パンチェン?ラマ11世は3月27日、「西蔵(チベット)100萬(wàn)人農(nóng)奴解放50周年記念座談會(huì)」に出席するため、人民大會(huì)堂に姿を現(xiàn)した。「國(guó)際先駆導(dǎo)報(bào)」が伝えた。
座談會(huì)でのパンチェン?ラマ11世の様子に香港メディアは、「赤い袈裟を身につけ、眼鏡をかけた青年は非常に大らかで、高貴だった」と絶賛を送った。同日午後には江蘇省無(wú)錫市に駆けつけ、第2回世界仏教フォーラムに參加。翌日の開幕式では英語(yǔ)で演説を発表し、各國(guó)の高僧や文化人らを驚かせた。
英語(yǔ)での演説では、ブッダの経文とツォンカパの経典を引用して現(xiàn)代社會(huì)が直面する、環(huán)境の悪化?貧富の格差?金融危機(jī)?衝突?戦亂?テロ襲撃などさまざまな弊害を開示して仏教者を激勵(lì)し、現(xiàn)代人に多くの善行を促した。
■週に2回の英語(yǔ)の授業(yè)
パンチェン?ラマ11世の英語(yǔ)の実力は彼の勤勉な努力によるものだ。
1990年2月13日、西蔵自治區(qū)嘉黎県の平凡なチベット族の家庭に生まれたパンチェン?ラマ11世はギェンツェン?ノルブと名付けられた。5年後、數(shù)々の検証や占いなどを通じて、ギェンツェン?ノルブはパンチェン?ラマ10世の転生者として認(rèn)定された。
1995年11月30日、パンチェン?ラマ11世の即位式典が歴代パンチェン?ラマが座主を務(wù)める日喀則(シガツェ)市のタシルンポ寺で行われ、パンチェン?ラマ11世の厳正な読経生活が正式に始まった。2005年の取材で、彼の規(guī)則的な生活が公開されている。それによると、パンチェン?ラマ11世は決まった時(shí)間に起床し、寢宮に掛けられている10代のパンチェン?ラマの肖像畫を拝んだ後、朝の読経を始める。毎朝10時(shí)から11時(shí)半までは経文を?qū)Wぶ。彼の隨身によると、午前の経文の勉強(qiáng)はパンチェン?ラマの1日の生活の中で最も重要で、視察や社會(huì)活動(dòng)で忙しい時(shí)にしか取り消されることはないという。パンチェン?ラマ11世は生まれつき聡明で、非常に努力家であり、他の僧が1年がかりで學(xué)ぶ內(nèi)容をわずか半年でマスターすると師は賞賛する。伝統(tǒng)仏教學(xué)を?qū)Wぶ傍ら、漢語(yǔ)や英語(yǔ)、數(shù)學(xué)なども勉強(qiáng)する。英語(yǔ)は1時(shí)間半の授業(yè)が週に2回ほどある。たまに新聞やテレビを見るが、一番好きなのは歴史を題材にした本を読むことだという。このほかに、現(xiàn)代科學(xué)技術(shù)にも強(qiáng)い興味がある。デスクトップとノートパソコンを1臺(tái)ずつ所有し、難なくパソコンで宿題をこなすことができる。
?人民網(wǎng)日本語(yǔ)版?2009年4月3日
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