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中國科學院國家天文臺の河北興隆観測基地で6月4日、國の検査を通過した中國國家重大科學プロジェクトに指定されている天體望遠鏡(LAMOST)。 |
▽立ち遅れから未來をリード
中國はかつて科學技術は立ち後れ、國力は貧弱だった。人々はかつて「マッチ、石油、ワイシャツ」の時代遅れの社會で生活していた。
50年代に初代中國科學院書記に就任した呉明瑜氏は「新中國の科學技術事業は廃墟の上から建設が始まったといっていい。そこから新中國の壯挙が始まり、近代中國の科學技術発展史に新しい1ページが始まった」と話す。
1956年初頭、共産黨中央は「科學に向かって進軍」というスローガンを発し、科學技術事業は計畫的な著しい発展の新段階に入った。中國は原子爆弾?水素爆弾?人工衛星などで大きな成果をあげ、民心を大きく奮い立たせ、社會主義?中國の自力の更生と科技革新の実力と潛在力を示した。しかし「文化大革命」の10年にわたる內亂で中國の現代化は深刻な挫折にあい、科技事業も厳しい冬に陥った。
1978年、障?小平氏は全國科學大會で「科學技術は生産力」と改めて論斷し、新中國の科技事業の発展に新たな1章を開いた。
その後、中國の科技事業は大きく前進してきた。新中國成立當初500人に満たなかった科學技術者は50萬人に増加した。各科技計畫が相次ぎ打ち出され、科學技術の光が経済建設のすみずみにまで照らされた。北京電子陽電子衝突型加速器など重大科學プロジェクトの完成のほか、秦山原子力発電所のグリッド接続発電の成功、大型コンピュータ「銀河」シリーズの開発成功、ロケット「長征」シリーズの技術性能と安全性が世界先端水準に到達するなど、中國は宇宙技術?高エネルギー物理學?バイオテクノロジー?醫薬衛生?地學?化學など重要なテクノロジーの分野で一連の世界先端レベルの成果を収めた。
「イノベーションは民族の進歩の魂であり、國の繁栄と発達の原動力となる」。今世紀の最初の20年間は中國にとって経済?社會の発展の重要な戦略的チャンスの時期となる。世界の経済と科學技術の発展に追いつくため、黨中央と國務院は06年に「國家中長期科學と技術の発展計畫(06-20)」を制定するとともに、「科技計畫綱要の実施によって自主革新能力を増強する決定」を発表し、「自主革新?重點飛躍?支柱発展?未來先導」の指導方針と2020年までにイノベーション型國家の仲間入りを果たすという目標を打ち立てた。
?人民網日本語版?2009年9月9日