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張鳴氏:日本の「満州開拓団」を記念させるべきでない

張鳴氏:日本の「満州開拓団」を記念させるべきでない。

タグ: 満州開拓団 方正県 石碑

発信時間: 2011-08-01 17:08:34 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

黒龍江省方正県政府は日本人共同墓地の傍らで、相當の大きさの石碑を立てている。中國の伝統建築である瑠璃瓦葺きで作られた石碑にははっきりした文字が見て取れる。「日本開拓団死亡者名録」。その下には細々と日本人の名前が記されている。つまり、これは日本が敗戦時、方正県に集まり死亡した5000人の開拓団員の一部名簿というわけだ。「新京報」が伝えた。

當然、亡くなった人の名前を石碑に刻むというのはよくあることだ。だが、これらの人の身分はやや特別で、當時の日本満州開拓団員だ。日本の満州開拓団は九一八「満州」事変の後、日本の関東軍が組織した武裝殖民集団だ。最初はほとんどが武裝していたが、のちに復員軍人を中心としていた集団が農民主體の「農業集団」に変質していったというものの、開拓団は最後まで軍事的な編成をもち、武裝を解かなかった。

この開拓団は植民地化する中で、中國人の生産物を大量に略奪し、いわゆる満州國の統治者、ハイレベルな人間として、日本の中國に対する侵略に強い影響力を持ち、中國民衆を圧迫していた。中國民衆に対する圧迫は、日本軍の中國東北部や民衆の抵抗勢力に対する補助的制御力として機能し、半軍部化した一種の侵略集団だったといえる。彼らの中には、東北抗日連合軍に対抗して包囲攻撃をしたものもいた。

日本が敗戦した後は、開拓団たち、特に老人、子供など弱者は非常に悲慘な境遇になった。多くが命を落としたが、中國侵略で死んだ日本兵と同様にこれらの悲劇はすべて日本軍國主義が作った罪であり、中國人が彼らを記念するいわれはない。

14年にも及び延々と続けられた侵略戦爭の被害國として、もちろん自國の國土で死んだ侵略側の死者を記念することなどあってはならない。しかも、この人間たちは侵略集団に準ずる集団のものたちだ。死者の中の多くが婦女、子供だったとしても、また、直接的に罪はなかったとしても、やはり記念するとしたら日本側がすべきだろう。とはいうものの、日本側が中國を侵略した戦犯を謳う碑を靖國神社に奉納していることは、中國人として依然として容認できないが。

中國人として、政府が自國の國土に記念的な意味が明らかなこのような石碑を建立させることは、幾千萬もの戦爭で亡くなった中國の人々に対して、どのように言おうとも申し訳が立たない。方正県政府は、この石碑の建立は戦爭を反省し平和に向かおうとする意思の表明であるという。だが、寫真で見る限り、そのような説明はどこにも見當たらない。この石碑は、大きく立派過ぎて、見る者を不快にさせる。

 

「中國網日本語版(チャイナネット)」2011年8月1日

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