パラオのレメンゲサウ大統(tǒng)領(lǐng)が昨年12月16日に日本を訪(fǎng)問(wèn)した際、安倍首相は、今年4月に予定されている天皇夫妻の戦沒(méi)者慰霊のパラオ訪(fǎng)問(wèn)について、「戦後70周年の歴史に殘るご訪(fǎng)問(wèn)にして、両國(guó)関係の発展につなげたい」と語(yǔ)った。安倍首相はレメンゲサウ大統(tǒng)領(lǐng)と天皇夫婦の慰霊訪(fǎng)問(wèn)の実現(xiàn)に向けて協(xié)力することを確認(rèn)した。
なぜ安倍首相は天皇夫婦のパラオ訪(fǎng)問(wèn)を望んでいるのか。第二次世界大戦終結(jié)70周年にあたる今年、天皇夫婦がパラオを訪(fǎng)問(wèn)する背景には、戦中の「封じられた記憶」がある。
パラオ諸島の戦役は、日本にとって忘れがたい歴史の一つである。第一次世界大戦後、パラオは國(guó)際連盟によって日本の委任統(tǒng)治下に引き渡されていた。1944年9月から11月、米國(guó)はパラオ諸島への上陸作戦を行った。日本軍は當(dāng)時(shí)、「外郭防衛(wèi)線(xiàn)」のマーシャル諸島を失い、さらには「絶対國(guó)防圏」であるマリアナ諸島の內(nèi)側(cè)の防衛(wèi)線(xiàn)も突破され、太平洋の戦場(chǎng)において厳しい狀況に追い込まれていた。日本軍はパラオ諸島を重點(diǎn)防衛(wèi)の対象とし、日本軍で最強(qiáng)の戦力を誇ると言われた陸軍第14師団を派遣して防衛(wèi)の任に當(dāng)たらせた。だが米國(guó)の全體戦略ではパラオはすでに「捨て駒」となっており、マッカーサーはパラオを避けてフィリピンでの戦いを始めていた。
だがパラオの日本軍は、追い詰められた獣のように死闘を繰り広げた。2日間で終わるはずの戦闘は2カ月にわたって引き伸ばされ、戦況をほとんど左右しない戦闘が死を賭した消耗戦となった。日本軍は晝間は巖穴に潛伏し、夜間に襲撃を行うことで、米軍に大きな代価を払わせた。死んだ戦友の敵を討つため、米軍は日本軍とこの「意義なき戦爭(zhēng)」を続けざるを得なくなった。パラオのペリリュー島では、多くの日本兵が巖穴の中で焼け死んでも投降することを拒んだ。島には日本兵が約1萬(wàn)人、米兵が5萬(wàn)人近くいた。日本兵はほぼ全員が戦死し、戦後生き殘ったのはわずか34人とも言われる。米兵は2000人近くが戦死し、8000人余りが負(fù)傷した上、戦役に參加した米兵數(shù)千人が精神疾患にかかった。日本軍の必死の戦闘にもかかわらず、戦況は悪化の一途をたどり、日本を揺るがす負(fù)け戦となった。天皇が戦後70年を記念してこの島を訪(fǎng)れる背景にはこうした過(guò)去がある。
だがすでに高齢の天皇によるパラオ訪(fǎng)問(wèn)には、歴史の回顧にはとどまらない、さらに深いレベルの戦略的なねらいがある。