文=『日本新華僑報』編集長 蔣豊
釣魚島の「中國漁船拿捕事件」の余波はいまだ冷めやらず、4年連続で暖かさを取り戻し、「暖かい春」の様相さえ呈していた中日関係は、一夜にして「冷たい冬」へと後戻りした。雙方は暖かい風を吹かせようと試みているが、溫度上昇は楽観できない。
國交正常化から40年近くかけて一生懸命築き上げてきた「世々代々の友好関係」はなぜ浮き沈みが激しく、暖かくなったり冷え込んだりするのだろうか。
中國の外交が「中日友好」にかける頻度や力の入れ具合は他のいかなる國をも上回る。周辺隣國との関係の中で、中日関係にもっとも強い関心を寄せているのである。
一方の日本も、対中関係には非常に力を入れている。両國の民間友好団體の數や人數は世界でもっとも多い。それにもかかわらず、現在の中日関係がこんなにも脆弱になってしまったのは、世界の外交史上まれに見るケースだといえる。ここには、歴史と現実のさまざまな問題が集結し、それが衝突しているのである。
中國の外交筋は中日関係を「ガラス細工」と比喩する。「見たところとても美しいが、構築するのは非常に難しく、壊れるのは容易い」からだ。この比喩は、物事の核心をついている上、とても意義深い。
中日関係というと、両國の2000年にわたる交流の歴史が思い出される。この間、不幸な戦爭もあったが、それは2000年という長い歴史の中では、一時のことである。中日両國は隣國であり、「同源同文」や「一衣帯水」という言い方もあり、少なくとも明治維新前までは、日本は中國を「先生」と奉り、遣隋使や遣唐使が吸収?応用した中國の文化や政治、経済制度は日本で大きく実を結んだ。この果実の影響はいまなお殘り、一部はそのままの姿で保存され、一部は「ソフトパワー」に転化していることに中國人は感嘆を禁じえない。よって、中日関係の中のこのような「特性」は、非常にまばゆく見え、とても「美しい」のである。