「幼い頃、家族がそろって食事する時には、千世子おばあさんがよく孫文と梅屋莊吉の物語を語ってくれました。私は、こうした物語を耳にしながら育ったのです。」と、辛亥革命の指導(dǎo)者、孫文の日本人の友人である梅屋莊吉の曾孫娘小阪文乃氏は、このほど新華社のインタビューに応じ、こう述べた。
辛亥革命100周年を記念する「孫文?梅屋莊吉と長崎」展が、9月30日、梅屋莊吉氏の出身地である長崎県の歴史文化博物館で開催された。10月1日に行なわれた特別企畫展において、梅屋莊吉が孫文をバックアップしていた當(dāng)時の歴史資料が初めて大量に公開された。小阪氏もこの展覧會に心血を注いだ。
胡錦濤國家主席が訪日した際、小阪氏は東京の松本樓に開設(shè)されている「孫文と梅屋莊吉資料室」で二人の友情を紹介したことがあった。「胡主席は時には眼鏡をはずして、資料を真剣に眺めていました。」と小阪氏は振り返った。
祖母と母親が相次いでこの世を去り、小阪氏が、この歴史を伝えていく役目を自ら擔(dān)うようになった。小阪氏は、孫文の本を読み、孫文と交流のあったほかの日本人の資料にも目を通し、梅屋莊吉氏の日記を研究した。
こうした歴史に対する理解が進むにつれ、孫文と梅屋莊吉の友情に対する理解も深まった。小坂氏は、「二人ともかつて雄大な志を抱く無名の青年だったのでしょうが、アジアの平和のために努力するという共通の理想がありました。その後の人生において、成功したり、挫折したりすることもあったが、その友情はずっと変わりませんでした。現(xiàn)在、孫文は広く知られていますが、梅屋莊吉を知る人は少ないでしょう。梅屋莊吉は、孫文をサポートすることで自分が功名を得ようとは一度も考えませんでした。こうした深い友情と見返りを期待しないサポートは、私が最も感動したところです。」と語った。
小阪氏は、さまざまな記念イベントにも積極的に參加している。「中日両國の歴史を振り返る時、戦爭は無視できない要素ですが、戦爭勃発前、両國の國民の間にはこうした真摯な友情も存在していました。孫文と梅屋莊吉の友情は國境を越えるものであり、二人の協(xié)力は歴史の発展をも推し進めたといえます。これも両國の歴史の一部です。」という小阪氏。「歴史を全體的に理解すれば、中日両國の若者の視野はさらに広がるでしょう。孫文と梅屋莊吉の歴史に親しむことによって、両國の若者の間に親近感が湧いてくることを願っています。」
「中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」2011年10月8日